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[朗報]髪など、またいくらでも…明智光秀の妻・煕子 [きつねうどん★]

1 きつねうどん ★ 2020/08/21(金) 19:25:41.04

「ねぇ。今度ウチでホームパーティ開くんだけど、あなたもいかが?」

残念ながら、そんなお誘いを受けたことはありませんが、昔から飲食を共にすることで互いの親交を深める効果が昔から知られており、戦国時代には「汁講(しるこう。汁事)」などと呼ばれる集まりがしばしば開かれていたそうです。

汁とは味噌汁(みそしる)、講とは集まりを指し、主人が味噌汁+αを、客人がご飯+αを持ち寄ってみんなで食べるだけのシンプルな「味噌汁パーティ」ですが、これでも結構盛り上がったという記録が各所に残されています。

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みんなで食べると、いっそう美味しい。

「おい、今夜は山田殿ンところで『汁』だから、夕餉の支度は要らぬぞ」

「え?もっと早く言ってくれなきゃ、もう準備しちゃったじゃないの……」

単に「汁」とも呼ばれていたようで、現代で言うところの「お茶にしない?」的な感覚で親しまれていたのでしょう。

そんな汁講がいつから始まったのかは定かではないものの、室町時代末期ごろから公家たちが朝餉の味噌汁を賞味し合った記録が残されており、それが次第に武士や庶民にも広まっていったものと考えられます。

江戸時代には、水戸黄門でお馴染みの水戸藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに)が家臣同士の交流を深めてもらおうと汁講を勧めたほどですから、「一つ釜の飯」ならぬ「一つ鍋の味噌汁」を飲む効果は抜群だったようです。

さて、話を戦国時代に戻して、今回は汁講にまつわる明智光秀(あけち みつひで)のエピソードを紹介したいと思います。

汁講の費用をどうしよう……貧乏だった明智光秀
今は昔、まだ光秀がどこにも仕官していなかった浪人時代、気の合う仲間同士で汁講を楽しむことになったそうです。志あふれる若武者たちが「いつかは武勲を上げて、立身出世を!」などと語り合ったら、さぞ盛り上がることでしょう。

しかし、光秀が参加したところ、他のメンバーによるもてなしが豪華すぎて、少々面食らってしまいました。

(え、『シンプルにやるから』とか言ってたのに……どうしよう、ウチは貧乏だからこんなに用意できない……)

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志はあってもカネはない。若き日の明智光秀。

なにぶん浪人暮らしゆえ無理からぬとは言っても、同輩たちが用意しているのだから、あまり見劣りするものでは恥をかいてしまいます。

「とは言っても、日々の入用さえままならぬところ、見栄を張って身代を損なってはのぅ……」

主人役は交替で務めることになっていましたが、みんなを興醒めさせてしまうくらいなら……辞退しようとこぼしたところ、妻・煕子(ひろこ)が反対しました。

「何をおっしゃいますか、立身出世は人とのつながりなくしては成りませぬ……費用でしたら、わたくしが用立てますゆえ、どうか『お汁』の主人は、そのままお務めなされませ」

2 きつねうどん ★ 2020/08/21(金) 19:25:49.54

一体どうする気なんだろう……心配な光秀でしたが、あのしっかり者の煕子が申すのであれば、いやしかし……などと落ち着かないまま当日を迎えると、確かに豪勢な料理が並んでいました。

「おぉ……流石は明智殿、実に見事なもてなしよのぅ……」

「これほどの馳走、さぞや骨を折られましたろう……」

「い、いやぁそれほどでも……ハハハ……」

「髪など、またいくらでも……」煕子の決意に応えた光秀
果たして汁講は大いに盛り上がり、みんな満足して帰途につきましたが、あの御馳走の代金はどうやって調達したのか気が気ではありません。

「おい煕子、あの銭はどこから手に入れた?」

いくら出世の可能性を求めるためとは言え、よからぬ手段を用いてはおるまいな……光秀の詰問に、煕子は頬被(ほっかむ)りしていた手拭いを外しました。

「……そなた……っ!」

長くて美しかった彼女の髪が、肩にも届かぬほどバッサリと切られています。煕子は、自分の髪を売って御馳走を調達したのでした。

「……髪など、またいくらでも伸びます。それよりも、今はあなた様の可能性をこそ伸ばして差し上げたいのです」

気丈に言い切った煕子でしたが、やはり髪は女の命とあって、その辛そうな表情やかすかな身震いが、光秀の胸を打たずにはいられません。

「相分かった……必ずや立身出世を果たし、そなたの想いに報いようぞ!」

それからと言うもの、光秀はこれまで以上に自分を売り込み、やがて織田信長(おだ のぶなが)との出会いによって立身出世を果たしたことは、広く知られる通りです。

共に苦労を乗り越えた二人だからこそ、夫婦仲も睦まじかったのかも知れませんね。

終わりに
以上『名将言行録(めいしょうごんぎょうろく)』の伝えるエピソードを紹介しましたが、貧乏に負けることなく志を高く持ち、人とのつながりに立身出世の可能性を賭けた光秀夫婦の姿は、現代の私たちにも勇気を与えてくれます。

「若い頃は貧乏したけど、何だかんだ言っても楽しかったね」

そう笑い合えたらよかったのですが……信長とも一緒に味噌汁を楽しめるような関係だったら、歴史が大きく変わっていたのかも知れません。

※参考文献: 永山久夫『武将メシ』宝島社、2013年3月

https://mag.japaaan.com/archives/125791

3 Ψ 2020/08/21(金) 19:26:16.12

1932年·女子高生が現代の女子高生と外見がほとんど同じだと話題に!今の女子高生を白黒写真にしただけと言われても信じるレベルw
http://sns-flags.rateaaronsbeer.com/52158.html

4 Ψ 2020/08/21(金) 19:27:50.29

作り話です NHKみたいに

5 Ψ 2020/08/21(金) 19:34:08.88

スレタイ、喧嘩売ってんのか、あー?

7 Ψ 2020/08/21(金) 19:35:38.45

明智光秀再評価とかいってるけど
主君をだまし討ちにして天下を取ろうとした卑怯者の上
秀吉家康という強力なライバルも計算に入れてなかった大バカ者という事実は絶対に消えない

11 Ψ 2020/08/21(金) 20:23:34.51

この記事書いた奴、こんな文章で金貰ってないよな?